こんにちは!
今日は2022年11月28日放送のしゃべくり007から、長州力さんにまつわる話について記事にしたいと思います。
長州力さんは、今でこそバラエティ番組などにたくさん出演されていて、「飛ぶぞ」などの流行語まで生み出していますが、かつてはレスリングからプロレスへ転向し、あのアントニオ猪木さんにフォール勝ちを果たした伝説の方です。
しゃべくり007の予告編では、「長州力ファンが語る伝説!5年生存率10%の大病に苦しむ新聞記者との感動秘話…涙の再会!」という文字があります。
調べてみるとこの方ではないかと思う情報があったので、この新聞記者とは誰なのか、どんな病気なのかについて調べてみることにしました。
新聞記者の名前は坂井広志(さかいひろし)さん
その新聞記者は、産経新聞の政治部に在籍している坂井広志さんです。
2016年12月、坂井さんは突如嘔吐と腹痛に見舞われて緊急入院します。CTでは小腸に腫瘍が見られ、それが腸を塞いでしまっていたとのこと。
手術後、医師から病名を告げられます。
病名は小腸がん
悪性か良性かは開腹手術をしなければ分からなかったため、入院から6日後の同月19日に縦に約10センチ開腹し、腫瘍を切除する手術を敢行した。病理検査の結果、悪性であることが分かり、退院日の同月28日に小腸がんであることを執刀医から告知された。
【希少がんと共に生きる】ステージ4の私に長州力さんは言った「娘が一番の抗がん剤だ」 政治部 坂井広志 – 産経ニュース (sankei.com)
とあります。
ステージ4で腹膜まで広がっていた
がんは小腸の外側にまで広がっており、臓器を包み込む腹膜にがん細胞が散らばっていて、手術でそれらを取り除くことができなかったので、化学療法(抗がん剤治療)をすることになったそうです。
その時のステージは「4」。
小腸がんは早期発見が難しい上に、同じ消化管原発である胃がんや大腸がんに比べ、悪性度が高く、手術で完全に摘出できたとしても、約半数は再発するという。しかも希少性故に治療面での開発は進んでおらず、標準治療は確立されていないのだそうです。
執刀医からは、「4、5年生きているケースがあるので希望を失わないでほしい」という激励をいただいたそうですが、今まで何気なく日常を過ごしていた人が突然知らされる余命5年ってどれだけ短いのだろうと私は感じました。
坂井さんは小学生の頃から長州力さんのファンだそうで、ファン仲間が激励のために長州さんと会う機会を設けてくれたのだとか。
そこで長州力さんから告げられた言葉が、
「俺と会ったってしようがないぞ。娘が一番の抗がん剤じゃないか。自分の病気のことを考えるんじゃなくて娘のことを考えろ」
だったそうです。
その言葉があったからこそ辛い抗がん剤治療にも耐えることができたのですね。
小腸がんが判明して約2年後には長州選手プロデュースのプロレスを観戦する機会があったのだそうですが、その時にも「元気か!」と迫力のある声で気合を入れてくれ、試合後、LINEには「明るい姿を見て安心した」とのメッセージが入っていたそうです。
坂井広志さんの執筆した闘病日記(記事)
坂井さんの病気に打ち勝つ強い心はたくさんの読者に勇気と希望を与える記事になっています。
この記事はがんが判明してから長州力さんに会うまでのストーリーが書かれています。
【希少がんと共に生きる】ステージ4の私に長州力さんは言った「娘が一番の抗がん剤だ」 政治部 坂井広志 – 産経ニュース (sankei.com)
そしてこちらが2020年に公開された記事で、診断から4年が経っています。
【希少がんと共に生きる】「余命」をリアルに考える 今読み返す闘病日記 (4/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト
現在の記事もありました。
産経新聞:『がんと無意識の思い込み』 (unconsciousbias-lab.org)
まだ現役で記者のお仕事を続けられているようです。
まとめ
今日は、長州力さんがが出会った病気の新聞記者の名前、病名、ステージや余命について調べてみました。
記者の名前は坂井広志さん。小腸がんのステージ4でした。
医者から5年その先まで生存している患者は見つからなかった。と言われていたのにも関わらず5年経った現在でも現役で記者をされている。
これは坂井さんが新しく作られた小腸がんの歴史ではないかと思います。
元気な姿で長州力さんにも会えたようで、長州さんも嬉しかったでしょうね。
仕事柄たくさんの人に向けて情報を発信できる方なので、これからもこの病に打ち勝っていただき、同じ困難や苦しみを抱えている方たちに希望を与えていただけたらと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました^^